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ラクテンチ物語 ⑥

ラクテンチ物語 → ⑥

 

戦時中の接収、鉄材供出で中断昭和16年、第二次世界大戦への突入に伴って、ケーブル遊園地は小倉造兵廠療の療養所として撤収されてしまった。

 

さらに戦争末期の19年5月には鉄材供出命令を受け、ケーブルカーの線路もモーターも撤去せねばならなかったのである。

 

こうして、別府鋼索鉄道が経営するケーブル遊園地の歴史は、約15年でピリオドを打つことになった。

 

現在、ラクテンチの稲荷神社内にある山崎権市の銅像は昭和35年に建てられたものである。

 

戦後、ケーブル遊園地をラクテンチとして再開した新会社の役員、そして乙原地区住民が山崎翁頌徳顕彰会をつくり、このラクテンチの恩人をたたえた。

 

除幕式が行われた、また、人形館の菊人形が美しい花に彩られ始めた10月。式場には、山崎の元気な姿があった。

 

第二の故郷としてこよなく愛した別府での苦闘の日々を思い起こしながら、努力が報じられたことに無上の喜びを感じたに違いない。

 

それから2年後の37年9月、山崎は静かに85年の生涯を閉じた。

 

 

・・・ラクテンチ物語⑦に続く(ラクテンチとしての開園)

 

2016年11月14日更新