ラクテンチ物語 ④
ラクテンチ物語 ③ → ④
ついに別府の新名所誕生
ケーブル遊園地をつくるにしても、流川通りは12丁目から右にカーブしていて客を導く道がない。
流川通りからケーブルカーの下駅まで、一直線に結ぶ新道をつくる必要があった。
この新道の開設と、付近の朝見川の護岸工事は木村鉱山が負担、さらに山崎は新道をつくるための耕地整備の世話までした。
山崎は将来を考えて幅員10m道路案を計画、7mを主張する関係農家と対立したが、結局10m案を押し通した。
新道を開くには、朝見川と乙原川に橋を架けねばならない。木村鉱山はそれを自費(当時の金で5.000円)でまかない、それぞれ木村橋、小木村橋(木村小橋)と命名して今日に伝えている。
こうして乙原のケーブル遊園地は昭和4年8月末日に完成。
9月2日の午後3時ころ、ケーブルカーの試運転が行われ、上首尾に山崎ら関係者一同はうれし涙を浮かべながら感謝の握手を交わしたのだった。
翌3日、ケーブルカーの開通祝賀式が市の公会堂(公民館)で盛大に行われ、引き続いて試乗会が催された。
この日は祝賀にふさわしい快晴で、下駅に近い道路には大きな杉門が立ち、大日章旗で飾られた。
びっくり顔の知名士たちが次々に山上駅に運ばれる情景を眺めながら、山崎らが感激を新たにしたことは言うまでもない。
招待された知名士たちも別府に素晴らしい名所ができたと喜んだ。
開通祝賀式の翌日の日刊別府新報には、「別府の発展上、多大の貢献をなすところがあろう」という平山別府市長の談話が載っている。
2016年10月07日更新